SPECIAL

磯部 総一郎氏

SPECIAL.003
国民の医薬分業への不安を払しょくするための方策を進めてきた

公益社団法人 日本薬剤師会
専務理事 磯部 総一郎氏

薬局経営の安定化が重要課題だった

磯部 私が最初に薬剤師に関わったのは、たぶん1991年だと思います。ちょうど30年前です。当時の医薬分業は、東京都の三鷹市と蒲田地区、長野県上田市、福岡県北九州市若松地区が先進地区と言われていました。当時、医療機関は薬価差を得るために大量に投薬しているとマスコミに批判され、厚生省(当時)は薬価差の削減を進めていました。いわゆる「薬漬け医療」を解消するため、医薬分業を推進する、という文脈でした。その頃の分業率、今で言うところの処方箋受取率は12~13%でした。これを、何とか30%まで高めたいというのが当面の目標でした。

その後、私が取り組んだことの一つが、薬局の経営基盤を高めることでした。お金がないと何にもできない。薬も買えないし薬剤師も雇えない。処方箋を応需するためには、薬局経営の安定が必要だと考えていました。すぐには医薬分業の普及は進まないだろうから、OTC薬も売ってもらわなければなりませんし、2000年には介護保険制度がスタートしましたから介護分野にも薬剤師に関わってもらい、収入源を複数持つことを促すようにしました。

「入院調剤技術基本料」(現在の「薬剤管理指導料」)新設で病院薬剤師・薬局薬剤師の役割分担明確化

磯部 医薬分業を広めるに当たって、最も心配したのが患者・国民の気持ちでした。それまでは病院・診療所で薬を貰っていたのですから、「薬局でちゃんと出してくれるの?」という不安を募らせることは容易に想像できました。その不安を少しでも払拭する方法として、門前薬局という形態が進みました。病院の目の前に薬局があり、その薬局には病院と同じようなカウンターや電光掲示板があり、街の薬局でも薬を受け取れることをアピールし、患者・国民の安心感を醸成するようにしました。まずは院外処方箋を薬局に持っていき調剤してもらい、服薬指導を受けるという一連の流れに慣れていただくことに、行政としては何より腐心しました。

しかも当時、院内投薬をする場合、PTPの耳を薬剤師が切って渡していました。薬の名前を患者さんに知られないようにするためです。今から考えると嘘のような話ですが、医療における情報がほぼ閉ざされていました。しかし院外処方になれば、薬の詳しい効能効果までは分からないまでも、少なくとも薬の名称が分かり情報開示が進みます。医療における情報開示が重要と考えていましたので、医薬分業は一つの方法として普及させる意味を私なりに見出していました。

一方、病院経営者は薬価差で薬剤師を雇用しているという意識が強かったものですから、薬価差を削減していけば病院薬剤師の雇用が失われる懸念がありました。そのため病院薬剤師の病棟業務をしっかり評価した「入院調剤技術基本料」(現在の「薬剤管理指導料」)が1988年に設定されました。これは当時の厚生省保険局医療課薬剤管理官のご尽力によって設けられたもので、病院薬剤師には入院患者への対応を主に考えてもらうようにし、薬局薬剤師と病院薬剤師の役割分担を明確化したことから、医薬分業を進める環境整備の一つとなりました。

こうした大きな流れから理解できるように、ある意味では行政が門前分業を進めてきた面は否定できないと思います。その後、面分業への移行を行政も多くの関係者も視野に入れていましたが、残念ながら、容易には進まなかったというのが、この30年余りの流れだと受け止めています。
(敬称略)


今回は公益社団法人日本薬剤師会の磯部様にお話を伺いました。
ご協力頂きありがとうございました。

※ 磯部様の記事はActive 11号にも掲載されております。

Activeプラス編集部

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